7つのまんの話が教えられて
こういわれていました
仏教も一部カバールの教えが混じってはいますが
お釈迦様とか仏陀の教えは本物です
仏教では七つに分けて
「七慢(しちまん)」といわれます。
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1慢(まん)
2過慢(かまん)
3慢過慢(まんかまん)
4我慢(がまん)
5増上慢(ぞうじょうまん)
6卑下慢(ひげまん)
7邪慢(じゃまん)
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の七つです。
▼1慢(まん)
「慢」は、自分よりも劣った相手を、
「情けないやつだ」
とばかにする心です。
テストで
自分は80点で、
相手は70点とすると、
「どうだ、おれの方が上だろう」
と相手を見下げる心です。
「そう思うのは当然じゃないの?」
と思うかも知れませんが、
相手を踏みつけている恐ろしい心なのです。
▼2過慢(かまん)
「過慢」とは、同じ程度の相手なのに、
「自分の方がすぐれている」
といばる心をいいます。
テストで同じ点数だったのに、
「おれ昨日風邪ひいちゃってさ~」
とか言って、内心
「本当はオレの方が上なのだ」
と自惚れていないでしょうか。
▼3慢過慢(まんかまん)
「慢過慢」とは、間違いなく自分よりも相手がすぐれているのに、
素直にそうとは認められず
「オレの方が上なのだ」
と思う心をいいます。
相手が90点で
自分が80点だった時でも、
「あいつは高い金払って塾に通っているからだ、
条件が同じならオレの方が断然上だ」
と思ったり、
「あいつは勉強は少しはできるかも知れないが、
スポーツはまるでダメじゃないか。
その点オレは両方できるから」
と思います。
勉強もスポーツも負けた場合
「あいつは勉強もスポーツもできるかもしれないけど、
オレの方が性格いいから」
と思います。
勉強もスポーツも性格も負けた場合、
「あいつは勉強もスポーツも性格もいいかもしれないけど、完璧すぎる。
少しは欠点があった方が人間らしくて親しみやすいから」
などと、自分に有利な理由を色々見つけて
相手の上に立とうとする心です。
▼4我慢(がまん)
「我慢」とは、ここでは、忍耐することではありません。
自分の間違いに気づきながら、
むりやり自分の意見を押し通そうとする心をいいます。
『はっても黒豆』という諺があります。
床にある黒いものを指さして、
「虫だ」
「いや黒豆だ」
と二人が言い争っていたところ、
モゾモゾ動き出したので虫だとハッキリしました。
ところが黒豆だと言っていた男は
「はっても黒豆なんだぁー!」
と言い張ったそうですが、
こんなのを「我慢」といいます。
▼5増上慢(ぞうじょうまん)
「増上慢」とは、
さとりを開いてもいないのに、
さとったと自惚れている心です。
▼6卑下慢(ひげまん)
「卑下慢」とは、
「私ってバカだし。」
「全然わかってないから、教えてよ」
とか、いいながら、
「どうだ、こんなに謙虚な人はいないだろう」
とニンマリする心です。
▼7邪慢(じゃまん)
「邪慢」とは、とんでもないことを自慢する心です。
テストの点が悪いのに、
「見てよこれ~、20点だって~、笑える~」
「私なんて1ケタとっちゃった~」
点数悪いのに何でそんなにテンション高いの?
みたいに自慢しあいます。
通知表の1と2の数を競いあっている人もみかけるし。
他にもよく、
「私昨日3時間しか寝てな~い」
「私なんか完徹しちゃった~」
などと、睡眠時間の短いことも競い合ってます。
成績の悪い人が、その悪さかげんを自慢したり、
不摂生な人が睡眠時間の短さを自慢したりしてるって、
よく考えてみると、あきれてしまいますが、
いいことも悪いことも、
自分のことはみんな、いいようにしか思えないのです。
自分のこととなると
偉そうにしていても、
謙虚そうにしていても、
自惚れ心から離れ切れません。
4の 我慢 ってやつですね
自分が間違っていても
たえられないから 他人のせいにしたり
間違ったままを押し通す
犯人は実は善人だった でもそれを言ったら自分が悪人とばれて処刑されてしまう
だから そのまま /4番目のまん 我慢 /そのまま 相手が悪人ということにしておこう という 怠慢
それが あの昔の警察官もだ
自分が悪人だったといいたくない 墓場まで持っていくつもりのようだ
あと 1の相手を見下して 自慢というのも謙虚じゃなくてダメといえばいかんけども
3慢過慢(まんかまん) これ 相手のほうが明らかに上なのに
自分のほうが上だ有能だというのです
しかし 能力の差を調べると 明らかであるし
なのに 自分のほうが上とか優秀というのである
だれのことだろうねえ
そういうことをされると 相手も お前なんか おいらの足元にも及ばないくせに
とみくだされかねないよねえ